「ひと」と「街」にワクワクを。再起の先に見えた「続く」ための確かな道筋

神奈川県川崎市を代表する繁華街・溝の口。このエリアを拠点に、住まい・暮らしの生涯顧客サービスを展開するのが株式会社エヌアセットです。リーマンショックが起こった2008年、上場不動産会社の子会社として創業、直後に親会社が破綻。逆風下の船出から始まったその足取りを、代表取締役の宮川恒雄が振り返ります。

親会社破綻後、子会社という“バトン”の重みをかみしめる

代表宮川恒雄、エヌアセット店舗にて。

おそらくほとんどの人がポジティブなイメージを持つであろう「起業」という言葉。しかし、中にはまったく逆のケースも存在します。私たちエヌアセットが、そうでした。

リーマンショックが起こる前の年、もともとの親会社である総合不動産会社・株式会社ノエルの経営状態が急激に悪化。「開発事業のリスクを回避するため、フィービジネスを成長させたい」という考えのもと、賃貸仲介・不動産管理部門がそのまま子会社化されることになり、その代表に任命されたのが、宮川でした。

宮川 「当時の私の役職はグループ長。いわゆる部長クラスです。ですから最初は『ほかにも役員がいるのに、なんで自分が?』と思いました。当然、引き受けないという選択肢もあったのですが……。今、自分がここにいるのは結果論としか言いようがないですね。いろんな人と議論していく中で、徐々に気持ちが固まっていったというか」

2008年9月、宮川率いる新会社が創業。しかし、その翌月30日に親会社であるノエルが破綻します。以後、残された約20人のメンバーは親会社の残務処理や業務システムの移行作業、取引先や顧客からの問い合わせ対応に追われました。一方で、新会社は売却されることに。

宮川 「ノエルの元社員として『新会社を含むすべての資産を 1円でも高く売却し、債権者にお返しする』ということが自分の使命だと思い、日々努めていました。一方で『誰か別の人の手に渡ってしまったら、今いるメンバーがバラバラになってしまうだけでなく、結果的にオーナーさんや顧客に迷惑がかかってしまうんじゃないか』という思いもありました。
選任された破産管財人にそのことを打ち明けると、『それならば金額面においても問題なく入札できるように努めなさい』という言葉で激励されました。その後、多くの方から出資を募ることができて」

宮川は2009年4月に行われた競争入札に出資賛同者とともに参加。その結果、念願かなって会社を買い取ることができました。新しい社名は「エヌアセット」。創業してから7カ月、宮川にとっての実質的な会社経営は、ようやくここで始まりを迎えたのです。

「もう一度試してみたい」の言葉を聞いたとき、嬉しさと緊張が混じり合った

創業当時のエヌアセット店舗です。

社名を一新させ、再出発したエヌアセット。一方で“破綻した不動産会社の元子会社である”という出自を変えることはできません。宮川は、当時管理していた約1200件の物件を「とにかく減らさない」という一心で経営に励みました。

宮川 「最初の 1年は、会社としての信用がなく、電話やネットなどのインフラ機器すらまともにリースできない状況でした。が、翌年からようやくシステムが整い、業務の立て直しに乗り出すことができて。
当時、全社で心がけていたのは『なるべくアウトソースせずにできることはやる』。鍵の交換や入居前チェック、修理全般、工事の立ち合いなど、部屋のクリーニング以外の業務はすべて自分たちでやっていました。当然、時間はかかりますが、その分、社員一人ひとりの業務理解は深くなります」

しっかりと地に足がついたサービスを提供したい──その思いが徐々に届き始めていると実感できたのは2011年、親会社が破綻して3年が過ぎたころでした。解約した不動産オーナーから、再び依頼を受けることが増えてきたのです。

実は、破綻した親会社のルーツは、1966年に溝の口で創業した野村不動産にありました。宮川の商社時代の先輩が起業した会社と、この野村不動産が合併して2000年にできたのがノエルという総合不動産会社。そのDNAを受け継ぐエヌアセットという社名は「いつまでも原点を忘れない」という思いを込め、野村不動産の頭文字に由来して名付けました。現在でも、野村不動産時代からお付き合いのあった地主・不動産オーナーも大切な取引先となっています。

宮川 「あるオーナーさんから『もう一度試してみたくなった』と期待を込めて言われたとき、嬉しさがこみ上げてきたと同時に『野村不動産から受け継いだこの地で、もう失敗はできない』と身が引き締まる思いでした。もちろん、今でもその緊張感はあります」

同じころ、エヌアセットは、地域密着・地域貢献を念頭におきながら、事業を徐々に拡大していきました。その皮切りとなったのが、ベトナム・ホーチミンへの進出でした。

「街の価値向上」と「生涯顧客サービスの提供」を目指して事業を拡大

ベトナム支社は現在日本人駐在員が2名、ベトナム人社員が6名、計8名のスタッフがおります。

エヌアセットベトナム社は、グループ初の海外拠点として2011年9月に開業。主に日系企業駐在員を対象にした不動産の賃貸仲介やコンサルティングなどを行っています。なぜ、溝の口から4,000キロ以上も離れたホーチミンで拠点を構えることになったのでしょうか。

宮川 「少子高齢化で国内需要はどんどん先細りしていく一方、日本、そして溝の口に外国人をどう取り込んでいくかが今後の課題だと踏み、かねてより海外へ足を運んでいました。中でもとりわけ不動産ビジネスとしての可能性を感じたのが、 2010年に視察したベトナムです。日系の競合企業が当時少なかったことも相まって、即座に進出を決めました」

地域へ人を呼び込み、定住してもらわないと不動産ビジネスは成り立たないし、活性化にもつながらない。エヌアセットはその後も、シェアオフィス運営や企業主導型保育事業など、時代に呼応した事業を広げていきました。

新規事業を立ち上げる上で宮川が最も大切にしているのは、社員から自発的に出るアイデアです。

宮川 「 2018年 4月に開園した『こころワクワク保育園』も、 “働く女性社員(同僚)の役に立ちたい ”という女性社員 2名の起案から実現したことです。
より多くの発想を引き出すために、私が行動していることはふたつあります。
ひとつは、おもしろいと思うこと、やってみたいことを所構わずに話すということ。それを聞いた社員が違うアイデアに発展させることを期待しています。
ふたつ目は、新しいことに挑戦する人に対して全力で応援するということ。 “街の価値向上 ”や会社のミッションとして掲げている “生涯顧客サービス ”のコンセプトから外れていなければ、基本、背中を押していますね」

古きよきものを大切にしながらも、新しい風を吹かせながら、地域活性化につなげていきたい──こうしたエヌアセットの想いが、溝の口の街のあちこちで形となりはじめています。

世のため、人のため。社員から“楽しい”をたくさん発信してもらいたい

10期目の節目を迎えた際の国内社員の集合写真です。年に一度、経営方針や各部署の施策発表など行っています。

まもなく創業12年目を迎えるエヌアセット。グループ会社は全9社、社員数は約110人となり、地域密着型企業として、生涯顧客サービスを提供できる体制となりつつあります。

宮川 「波乱のスタートではありましたが、数え切れないほど多くの『ひと』に支えられて、ここまでたどりつくことができました。一番感謝したいのは社員です。彼らのがんばりのおかげで、私は地域の皆さんと交流を持ち、ベトナムなど海外へ足を運ぶことができました。
対して、社員に向けて私がするべきことは何か。それは “働く時間をできるだけ楽しくする ”環境づくりだと考えています」

将来、AIに取って代われる業務が大半になるであろう不動産業で、宮川が今後目指していきたいのが「得意なことを仕事にできる」体制づくり。それが一人ひとりのワクワクや成長につながり、ひいては生産性の向上につながると踏んでいます。

宮川 「あと、これは理論的な話ではないんですが、楽しい人がそばにいると、自分も自然と楽しくなるでしょう? 楽しさが楽しさを呼ぶ、これってすごく世のため、人のためになりますよね。ですから、社員からどんどん “楽しい ”を発信していってもらいたいんです」

新卒で大手商社に入社し、職場の先輩に誘われて1999年にスタートアップ企業へ転職。その会社は急成長を遂げ、2005年にジャスダック、2007年には東証二部への上場を果たすも、2008年に破綻。残された子会社を受け継ぎ、立て直す……まさに波乱万丈なビジネス道を歩んできた宮川。

宮川 「いろいろ経験してみて『関わるみんながハッピーならば、会社や仕事は続く』という結論に行きつきました。手段については模索中ですが。とにかく今は『ひと』や『街がワクワクするような事業づくりを目指していきたいです」

溝の口を舞台にしたエヌアセット、そして宮川のあくなき挑戦はまだまだ続きます。

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