「ヤフーは変化し続ける。だから挑む」 人事制度の大転換

人事部の池田潤は、人事制度改革を担当しています。大転換といえるほどの制度変更を迷いなく推進できる理由は、彼自身が「ヤフーが変われること」を目の当たりにしてきたからでした。人事制度の改革を通して今後のヤフーでの働き方の本質に迫ります。

質実剛健な経営がもたらした光と影──ヤフーが陥った、大企業病?

▲サービス開始会見時の井上(左)と孫(右)

事業や意思決定における圧倒的なスピード感を武器にする「爆速経営」。一時期のヤフーを象徴する言葉ですが、これを体現する経営体質になったのは、ある種の大企業病を乗り越えたからでした──。

それ以前のヤフーは、意思決定に多大な時間を要していたのです。その背景にあったのは、IT業界全体を取り巻く信用問題。ヤフーは、その問題に真摯に向き合ってきました。

池田 「ヤフーが設立された 1996年は、インターネットの黎明期。 IT になじみのなかった人にとってインターネットは胡散臭いサービスに見えたでしょうし、事実、インターネットには、うそや根拠のない情報を掲載するサイトもあふれていました。
2000年代初頭の ITバブル崩壊のさなかにも、新興の IT企業が時には悪目立ちしてしまうようなこともあり、 IT業界に対するイメージはあまり良いものではありませんでした」

そんな中、インターネットを信用できる社会インフラにしようという強い思いから、手堅い経営で事業を伸ばしてきたのがヤフーです。

池田 「ヤフーが掲載している情報にうそがあってはいけないとか、それによって誰かが傷ついたり、だまされたりしてはいけないという信念があって。だから、新たなサービスをリリースするにしても、掲載する情報ひとつとっても、かなり厳格な審査を行っていました」

そうした姿勢は、社会から信頼を得ることにもつながりましたが、組織が拡大するとともに社内の意思決定を鈍らせる原因にもなっていったのです。

池田 「たとえば、総額 1万円程度の備品を買うのに 8つの承認が必要になるなど、社内のプロセスが複雑になっていったんです。当時の社内では当たり前のフローでしたが、ヤフーの可能性を信じて入ってきた社員は『あれ?』と首をかしげる。手堅いだけでチャレンジをしないし、自ら提案して承認を取ろうとしても決済が下りないと感じた社員も少なくありません」

こうした状況が顕著になってきたのは、2010年前後。創業期から在籍する社員のポジションも固定され、組織は硬直化する一方でした。社員の有志による、社内改革が立ち上がる状況だったといいます。池田もそのメンバーの一人です。

池田 「プロジェクト名は “オルフェウス”といい、アメリカのオーケストラの名前からとりました。オルフェウス室内管弦楽団には指揮者がおらず、楽器の演奏者だけで編成されています。ヤフーの改革が求められるなかで、リーダーがいなくても社員だけで実現していこうという意味が込められていました」

しかし、幸いにもリーダーの不在は長くは続きませんでした。

2012年6月、創業者の井上雅博の跡を継ぎ、宮坂学が社長になると、爆速経営が始まったのです。それまでの人事制度も大きく変化しました。

ヤフー初の人事制度改革 個を尊重し、爆速経営を実現

▲宮坂の社長就任後に行われた「これからのヤフー」と題したプレゼン

PC向けインターネットにおける広告を主な収益としてきたヤフーですが、2000年代後半にSNSが台頭し、スマートフォンが普及し始めると、従来の事業モデルを変えていく必要性が生まれました。こうした事業環境も、宮坂が社長に就いた理由のひとつでした。

宮坂が就任時から掲げたキーワードのひとつ「爆速」は、それまでの慎重すぎる意思決定を変えるという決意の表れであり、社内外に大きな期待を持たせました。その改革の一環で、組織構造も大きく変わりました。

池田 「『変わらない』と思っていた社員たちの目を覚ませるような戦略が宮坂の口で語られたんです。設立以来、最大の組織改革でした。
その時に人事のトップに就いたのが、現在の常務執行役員 コーポレートグループ長の本間でした。人事責任者が変わるというのは変革への意志を感じる極めて象徴的な出来事でした。誰もが大きなパラダイムシフトが起こると確信しましたね」

体制が変わると、社内の雰囲気も変わっていったといいます。

池田 「それまでのヤフーは、事業をいかに成長させるかとか、いかに ITというものを社会に根付かせるかというような、スタートアップ的な考え方で事業を伸ばしてきました。しかし、宮坂がトップに立った時には、社員も増大していたため、今いる人財の才能と情熱をいかに解き放つか、という風に “人”にフォーカスした施策に力を注ぎ始めたんです。
改革前は、人財育成は二の次でしたが、宮坂は、人の成長によって事業成長を図ろうと考えました。これを受け、人事制度も社員が仕事経験から学びながら成長していけるような仕組みへと変わったのです」

逆方向へ舵を切ったからこそ、この改革は成功したと池田は分析します。

池田 「トップダウンのカリスマ型リーダーシップで成長した井上社長の時代から、ボトムアップでフォロワーシップ型の経営へと、砂時計をひっくり返すようなカルチャー変革が起こりました。あの時、宮坂が中途半端に真ん中を取るようなメッセージを出していたら、根本から会社のカルチャーが変わるような変化は望めなかったでしょう」

個が活躍する組織のさらなる改革 『自由』と『責任』の共存へ

2代目社長宮坂のもと、ヤフーはますますさまざまな個性を持った社員が活躍し、個人が会社の事業成長を引っ張るような会社となったのです。

池田 「いろいろな働き方を許容できるような仕組みを取り入れたのも宮坂の時代でした。社員にとってストレスなく、パフォーマンスを発揮できるような就労環境を目指して整備が進みました。

一方で、個を尊重しすぎたのかもしれません。時には、事業戦略に関係なく社員がただ自分のためにチャレンジすることすら許されているような雰囲気も見うけられるようになっていきました」


2018年6月に、宮坂に代わり川邊健太郎が社長に就任すると、この状態を是正し、共通の事業戦略のもと社員が意識統一を図れるようにするべく、次なる人事制度の改革が始まりました。

池田 「本来、会社は明確なビジョンか戦略を示すことで、求心力を高めないといけませんが当時はこれが充分であるとは言い難かった。今回の人事制度改革はこれを課題と捉え、社員個人を尊重しながらも、ヤフーという組織の目的を社員全員が認識し、達成のために力を発揮できる状況をつくることを意図しています」

池田も参画してつくり上げた新しい人事制度は、全社で掲げる目標を明確に示し、カスケード型に部署単位、社員単位で、その目標に貢献するための成果目標を明示させるものです。

池田 「すべての社員は、事業に資する年間目標を掲げます。これに合わせて評価制度は、これまでのようなプロセスと成果を分けて評価していたものから、プロセスを含め最終的な成果のみで評価する方式に変えました。正直、社内では動揺や混乱もあります。新しい制度を目的に沿ったかたちで使いこなすために、暗中模索を続ける部署も少なくありません。
今更そんな当たり前のことをやっているのか、という会社さんもいるでしょう。しかし、ヤフーという会社のサービスを、これからもユーザーに使っていただき、会社としても持続的に成長し続けるためにどうすべきかを考えた結果です。
今、この改革を行う必要がありました。社員の目標達成をサポートするために、目標進捗管理を徹底するための施策も人事が中心となって展開しています」

個として尊重される権利に対し、「事業目標に貢献する」という義務を、制度変更という形で示したことで、再びヤフーのカルチャーが変わり始めました。

池田 「社内がピリッとした感触があります。まずいなと思った人も、よし頑張ろうと思った人もいるでしょう。変化の兆しも現れ始めています」

「変化し続けるヤフー」には変化を楽しめる人がいる

▲池田(左から2人目)は「変化し続けるヤフー」を信じ、挑戦を続ける
池田 「新しくヤフーに入社される人には、今の環境を当たり前のものとして、順応してくださればいいと思いますが、一方で変化を楽しめる人じゃないと厳しいでしょう。
ヤフーが生まれた 1996年からずっと、事業環境や経営状況は変化し続け、それに応じて組織課題も変化してきました。人事制度の改革というチューニングは都度、必要になるんです。そうした環境において、社員はそれまでの文化に固執せず、いかに上書きしていけるかが重要だと思います。それまでの自分の行動習慣や、思考の癖を変えるのはとても大変なことです」

ヤフーのメンバーは、その変化を乗り越えてきました。池田はその歴史を、ひとりの社員として体感しています。

池田 「僕が 2012年の改革と、今回の改革を見ていて感じるのは、『まずは、やってみる?』 という、柔軟性とチャレンジ精神の文化がヤフーにはあるということです。未知の領域でも一歩踏み出せる胆力のある人達が多いと思います。変化が激しい IT業界において、 20数年続けて来ることができたのは、こうした社員の “しなやかな身のこなし”によるところも大きいと思っています」

「変化し続けるヤフー」を信じるからこそ池田は、テクノロジーを通じてユーザーの生活を豊かにする、そんな未来をつくり続ける企業であるために、どんな人財が必要か、どんな組織であるべきかを問い続け、ヤフーのさらなる進化に挑戦していきます。

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