いじめられっ子からスター選手へ。「自分が変われば周りも変わる」ことを知る

▲幼稚園に入園する前のころ、年子の弟と(右が建部)。髪型は祖母の好みでいつもおかっぱ

岩手県一関市で生まれた建部久美。今ではいつも明るく振る舞っている彼女ですが、幼少期をひと言で表すと、“いじめられっ子”。グループには属さず一匹オオカミで、周りの環境になじめませんでした。

建部 「小学校 2年生のとき、帰りの会で、クラスのリーダー格の女の子の発言に対して、クラスが良くなればいいという気持ちと、みんなの想いも代弁したつもりで『それは違うんじゃない?』と言ったんです。すると、その子が急に泣き出しちゃって。私がいじめたようになってしまったんですよね。その日の帰りの会で、悪者としてつるし上げられてしまいました。『建部さんが悪いと思う人は立ってください』って……。そしたら、私以外、全員立ったんです(笑)」

彼女は、ただ真っ直ぐだっただけ。しかし、それが必ずしも報われるとは限らないのが世の常です。

建部 「どうやら、正しいことを正しいと言える世の中ではないらしい。本質的ではないとわかっていながら、意外とみんな『右に倣え』で、自分の意思を殺して選択をするんだなと、小学生ながら思いました」

しかし、この経験が今につながっています。

建部 「私が周りの望む通りに動かないから、嫌われてしまうことが多かったんですよね。自分の意見を正直に貫きたい反面、やっぱり嫌われることは怖かった。だから、相手のどんな感情も、敏感に感じることができるようになったんです。
相手の声色や目の雰囲気で、なんとなく今自分に向けられている感情がわかるようになりましたね。社会人になってからは、電話の声だけでも、それがわかるようになりました。昔は相手の顔色をうかがうのが苦しみでしたが、今となってはすごくプラスに生きてますね(笑)」

中学生になっても、いじめられっ子から抜け出せなかった建部は、バレーボールに打ち込むようになります。高い身長と水泳で鍛えられた肩、そして運動神経が良かった彼女に、顧問の先生がセンターのポジションを与えました。

建部 「立場や自分自身が変わると周りもこんなに変わるんだなと思いましたね。いじめられっ子から、スタープレイヤーに大変身するという、貴重な経験をさせてもらいました。私を大きく突き動かしたのは、『私の可能性を信じてくれたその先生に恩返しをしたい』という自分の気持ち。だから厳しい練習にも打ち込めたし、変わろうと思うことができたんです」

そして、かつてのいじめられっ子は、みるみるうちにスタープレイヤーの道を駆け上がっていきます。今まで、要らないもの扱いされていたのが嘘のように……。

過食症になるほど仕事に打ち込んだインターン時代

▲中学生のころ(左から2番目が建部)。今でも仲が良い友人たち

徐々に周りになじみながら、学生生活は続きます。そんな中、周囲に対して「今までのことを見返してやりたい」という想いが強くなっていきました。同時に、すべてが新しくなる場所、いろんな可能性がそろっている環境、「東京」に強く引かれ始めます。部活に取り組みながら猛勉強をして、東京の大学に進学を決めました。

晴れて入学。猪突猛進、フィーリングで生きるような学生生活でした。サークル、バイト、恋愛……興味あることには、自分のキャパシティも考えず片っ端から手をつけていきます。さらに、より自分を成長させたいという想いから、ベンチャー企業でインターンを始めます。

建部 「私を含め 3人しかいませんでした。会社が倒れて、代表が路頭に迷うかは私たち次第。右も左もわからない中、ひたすら仕事に打ち込みました。インターンではあったものの、背負ってる責任の重さは半端じゃなかったです。
一緒に働く人たちを愛していたからこそ、役に立ちたいという気持ちが強くなりすぎて、自分の力不足に思い詰め、過食症になってしまったこともありました……」

その人に貢献できているのか。自分がしていることは本当に正しいのか──。インターンながら、自問自答しながら仕事に打ち込む日々を送ります。こうした経験は、のちの彼女の仕事観に大きな影響を与えることになるのです。

祖母との死別が教えてくれた。"いつか"は永遠にやってこない

▲新卒1年目のころ。同期と研修で、目標達成したときの記念の1枚。同期とは今でも連絡を取り合う仲に

念願だった東京で、全力疾走していた建部。充実した毎日とは裏腹に、とてもつらい経験をすることになります。それは、祖母との死別です。子どものころから、父と弟の3人で暮らしていた建部にとって、母のような存在であり誰よりも上京を心配してくれた、心の支えでした。

祖母の体調が急変したと聞いた彼女は、何度か帰省を重ねます。しかしその年の12月、年末年始は家族と過ごすはずだったのに、目先の恋愛感情や欲求に負けてしまい、実家に帰らず東京で遊びほうけてしまいました。

建部 「まだ大丈夫、 “またね ”があると思ったんです。病気で苦しむ祖母に、もっともっと、愛と感謝をまっすぐに伝えるべきだった。本当に大事な人と居場所があるのに、優先順位を誤ってしまったんですよね」

その年末、祖母の最期に立ち会うことはありませんでした。

建部 「 “いつか ”は永遠にやって来ないし、人は今この瞬間しか生きられない。私は、ある本で書かれている、『今この瞬間をダンスするように生きる』という言葉が好きなんです。過去も未来も存在せず、あるのは今この瞬間だけ。そこに全力で集中して、瞬間を積み重ねることが充実した人生をつくるという考えです。
目先の誘惑に負けるのではなく、今この瞬間を、正直にまっすぐ楽しく生きる選択をする。そして、心から大切だと思う人たちと過ごす。そういった、人生においてとても大事なことを学ばせてもらいました」

そんな濃密な原体験から、「今この瞬間をまっすぐ楽しく生きる人を増やしていくこと」を大切な価値観にしようと心に決めたのです。

「仕事の時間が楽しければ人生は楽しい」をこの会社で体現したい

▲2019年現在の建部

2015年に新卒で入社したのは、飲食店事業をメインにしながら多くの事業を展開する会社。そこで、新卒採用としてのキャリアをスタートさせます。そのポジションを与えたのは当時の上司。建部を叱咤しながらも、密かに可能性を信じて重要な仕事を任せてくれました。

建部 「私のことをそんなに?というくらい、めちゃくちゃ怒るんです。でも、『建部は褒めてもけなしても伸びるタイプ』と影で言ってくれていたようで(笑)。私の可能性を本気で信じてくれていました」

しかし、会社は事業統一を図るため、経営陣が一変。新卒採用の凍結が会社から言い渡されました。次のポジションは自社が展開する飲食店の店長か、取締役の秘書……。

これまでの職種とまったく異なる選択肢を目の前に、彼女の頭によぎったのはこんな想いでした。

建部 「人生は有限なんだから、自分が心からやりたいと思えるものに自分の命を使おう。そして、そう思える人たちと一緒にいられる環境で仕事をしようと思いました」

そして、転職活動をスタート。人生の選択軸を引き出し、彼女自身の心の底にある価値観を見いだしてくれるエージェントに出会います。

建部 「その方との対話を重ねて気づいたのは、自分がワクワクしていたときって、同じ重さの責任を持ち、同じミッションに向き合っている人たちと駆け抜けたときだったんですよね。インターン時代は苦しかったけど、すごい楽しかったんです。今を生きてるなって思えてた。だから、自分の本能に従って、今を全力で楽しめる組織に行こうと思いましたね」

その信頼するエージェントから紹介された会社こそが、PR Tableでした。

建部 「本音で語り合うカルチャーに引かれました。前職時代に、会社が目指す方向がわからず、今自分が貢献できているのか、どこに向かって走っていけば会社も幸せなのかわからなくなったときがあったんです。新卒ながら社長室に行って『この会社がどこに向かっているかわかりません』と抗議をしたこともありました」

会社と十分な意思疎通ができない苦しみを知っていたからこそ、それを払拭したいという強い想いが彼女の中にありました。

建部 「仕事は人生の大半を占めます。だからこそ、その時間が楽しければ『人生は楽しい』って言えると思うんです。『今を楽しく生きる』ということを、この会社で体現し、つくっていこうと決意しました」

そして、2019年5月。PR Tableで新たなスタートを切りました。今は前職での経験を生かしながら、まさにこれから出来上がっていく組織の中で、試行錯誤を繰り返す日々を送っている建部。

建部 「まずは、会社を大きくしていくことに貢献していきたいです。今の私があるのは、バレーボール部の顧問の先生だけでなく、人生の節目で、私の可能性を信じて引き上げてくれた人たちのおかげ。その経験と感謝を忘れず、私自身も、誰かの人生の岐路で影響を与えられる人になるために、日々精進します」

これからもつらいことや、乗り越えなくてはならないことが、たくさんあるでしょう。それでも自分に関わるすべての人のため、後悔がないように、一瞬一瞬を全力で楽しむ。そのために、彼女はこれからも“踊る”ように生きていきます。