33歳。11年間勤めた会社を退社し、アメリカ留学を決意

▲大澤(右上)と当時のクラスメート

日本の大学を卒業し、IT商社に11年勤務していた大澤。米国へ1カ月出張する機会があるなど、海外出張の機会に恵まれていました。そのため、大澤自身は会社に対して不満はなく、むしろ海外との接点がある環境を楽しんでいました。

しかし、心のどこかで「いつか留学してみたい」という、学生時代にかなえられなかった憧れを抱き続けていました。

大澤 「 33歳のときですね。会社を辞めて、アメリカへの社会人留学を決意しました。周りには結構衝撃的だったようですが、不安は一切なかったです。キャリアアップを目的としていたので、留学がリスクになるとは全然思ってなくて。むしろ、自分に何か強いスキルがないまま、ずっと日本の企業にいた方がリスクになると思いました」

そうして2008年、UC San Diego Extensionにて1年間、社会人経験者用のビジネスプログラムを開始します。マーケティングやアカウンティング、HRなど、ビジネスのコアとなるクラスを中心に履修しましたが、11年間の社会人経験があった大澤にとって、授業の内容はそこまで難しくなかったそうです。

大澤 「むしろ大変だったのは、日本の学校にしか通ったことのなかった自分にとって、授業のスタイルが全然違うことでした。あとはまぁ、なんと言っても英語の勉強(笑)。初日から授業内容がよく理解できませんでした。ある日、普通に授業だと思っていたら、その日はテストの日だったこともあったくらい」

サンディエゴという最高のロケーションでの生活でしたが、空き時間には会話の練習をしたり、図書館にこもって勉強したりの毎日。そんな勉強漬けの日々でしたが、充実していたそうです。

そうして1年間のプログラムも終盤に差し掛かり、必修だったインターンシップの時期が始まるというころ、大澤に転機が訪れます。

Atlassianでインターンシップを開始

▲Atlassian時代。自由な会社の風土がとても気に入っていたとか

プログラムの締めとして、3カ月のインターンシップに参加することとなった大澤。

学校から紹介された企業一覧を見ると、金融系を中心とした大手企業がズラリ。しかし、インターンシップだけでは物足りなくなりそうで、できたらインターン期間以降も働きたいと考えていたので、成長中かつ自分の実力が発揮できそうな職場を自分で探すことに。

LinkedInなどのソーシャルメディアで「インターン先を探しています」と発信しつつ、サンディエゴ近郊のIT企業を探していると、当時Atlassianサンフランシスコオフィスで、日本市場向けの新事業を立ち上げようとしていた前職からの知り合いから、「働いてみない?」と声を掛けられます。

Atlassianはオーストラリアのシドニーに本社を構えるソフトウェア企業で、タスク管理ツールのJira Softwareをはじめとする、ビジネスソフトウェアを開発・販売しています。

「Yes!」と言ってはみたものの、Atlassianの拠点はサンフランシスコ。同じカリフォルニア州内といっても、距離にして約800kmも離れていたため、基本的にはリモートで、時々オフィスに顔を出すという、インターンシップとしては珍しい形でスタートしました。

初めてのアメリカでの就業。大澤にとって、Atlassianで働くことはカルチャーショックの連続だったと言います。

大澤 「 Atlassianの Jira Softwareや Confluenceを初めて使ってみたときは、本当に圧倒されました。とくに情報共有ツールの Confluenceなんて、社員がそこに情報を書き込まなければ成り立たないツールです。
その Confluenceがガンガン活用されている職場ということは、社内での情報共有やナレッジの蓄積、他の拠点にいるチームとのコラボレーションが重要と、社員はわかっているということですよね。世界中のさまざまな社員が社内で情報を発信し、また私も発信することができ、意見交換や議論をしつつ、お互いをよく知る、そういったことがとても有意義で楽しかったんです。
一言に社内ウィキツールと言っても、そのツールは企業の文化をオープンにさせるパワーを持っているんだなぁと。前職では社内用の情報共有イントラネットがありましたが、情報を掲載しようとすると広報部に頼まなければならず、自分で自由に発信ができなかったので、情報共有に制限がありました。
でも当時の日本ではこれが普通。なので最初は、『こんなのよくつくったな〜』と非常に感動したのを覚えています」

製品を本格的に日本に広めるプロジェクトが開始し、日本のパートナー会社の選定や市場調査、顧客のフォローアップと、忙しい日々を過ごしました。

そして2009年 、大澤はインターンシップ期間中の結果を評価され、契約終了後も引き続きAtlassianに正規雇用してもらえることになり、サンフランシスコに引っ越すことに。

大澤 「 Atlassianの企業文化も驚きの連続でした。もちろん、アメリカの会社の中でも珍しい、当時スタートアップの IT企業だったからこそだったとは思いますが。たとえば、会社に行くと犬を連れてきている社員が普通にいる。

インカムを耳にさして顧客対応中の社員が、社内で自転車をこいでいる。新事業検討時など新しく何かを決めるときは、役職関係なく社員も積極的に意見を Confluenceに書き込み、多くの視点からそれを徹底的に分析する。

チームビルディングの一環として、就業時間内の昼下がりからみんなで野球を観に行ったり、アスレチックに行ったり(笑)。もう、何もかもが自分にとって新鮮でした。そして、その自由な風土が自分に合っているとも感じていたんです」

リックソフトとの出会い。そしてRicksoft, Inc.の設立

▲2011年 リックソフト代表 大貫浩(左)、Atlassian代表 Mike(中央)と大澤

日本市場参入の本格化にともない、大澤は東京へ拠点を戻すことになります。

今でこそ働き方改革などの後押しもあり、ビジネス向けソフトウェアツールの導入が理解されつつありますが、当時は2010年 。海外発の先進的なツールに興味を持ってくれたアーリーアダプターたちに助けられた、と大澤は振り返ります。

大澤 「トラディショナルな日本の企業には受け入れてもらいにくいツールだとわかっていたので(笑)、当時興味を持ってくれた先進的な企業に絞ってアプローチをしていました。そしてありがたいことに日本での市場が成長し、さまざまなお客様と関わる中で、難しい要件の相談なども年々増えていきました。

当時社員数 10名前後だったリックソフトにも、パートナーの一社として導入やサポートなどで助けてもらっていました。当時のリックソフトは、代表の大貫浩をはじめ、プリセールスエンジニアの樋口晃など、頼もしいエンジニアがいるなぁっていう印象でした。

とくに大貫なんて、今でこそ経営者という一面も垣間見えるようになっていますが、当時はお客様のやりたいことはなるべくかなえたい!という想いがそのまま原動力になっているような、スーパーエンジニアでした(笑)」

気づけばAtlassianに勤め始めて8年目に差し掛かろうとしていたころ、大澤は今後のキャリアについて考えるようになります。

大澤 「そんなとき、タイミングよく大貫から、『情報収集のため、アメリカに駐在してくれる人を探しているんだけど』と声を掛けてもらって。アメリカに駐在でき、 Atlassianで得た知見を生かせそうなチャンスだと思い、興味を引かれ転職を決意しました。その後の苦労を知ることもなく……(笑)」

2016年10月、『グローバル展開を本格化しよう!』と走り出したこの新事業に立ちはだかったのは、ビザ取得という厚い壁でした。

大澤 「そもそも当初は、ここまでビザ取得に時間がかかるとはまったく思っていませんでした。申請準備を進めていく上で、想定外のトラブルがあったり、条件が難しかったりと、思ったより手こずってしまって。

当初はどこから手をつけたらいいか本当にわからなかったくらい。まずはビザについて弁護士と相談を始めて、会社を登記して、ウェブサイトを用意して……」

そんな紆余曲折を経て、入社から3年が経った2019年10月、大澤は再び渡米し拠点をシリコンバレーへ移すことになります。

世界で成功するソフトウェア企業を目指して

▲Atlassian Summit 2018では表彰もされました

リックソフトにジョインしてから、Ricksoft, Inc.を設立し、主力製品であるWBS Gantt-Chart for Jiraのグローバル展開に注力してきました。

マーケティングやサポートの充実に焦点を当てた努力も実り、2019年3月には海外顧客社数が1,000社を突破しました。

大澤 「今取り組んでいることはふたつあります。 WBS Gantt-Chart for Jiraのクラウド化を成功させることと、製品の UIを今よりももっと向上させて、ユーザーにとってストレスフリーな製品に仕上げること。WBS Gantt-Chart for Jiraはリックソフトが独自開発したプロジェクト管理のアプリです。

今まではサーバー版のみの提供でしたが、近年のグローバルのトレンドといえばやっぱりクラウドなので、現在ベータ版でリリース中の WBS Gantt-Chart for Jira Cloudを一刻も早く正式リリースまで持っていきたいです。

そして、より世界中のユーザーに使ってもらう鍵として、直感的で使いやすい製品であるかということが非常に大切です。欧米のソフトウェア企業では、製品開発チームに UIデザイナーがいることが当たり前で、ユーザーにとって見やすく、使いやすい製品づくりが重要視されています。日本発のツールは見た目がごちゃっとしているものが多い印象なので、この意識を社内に伝え、グローバルスタンダードに追いついた UIデザインを目指します」

日本発のIT企業が海外で成功する例は、極めて少ないのが現状です。しかし大澤は、市場動向や顧客ニーズをIT企業最先端のシリコンバレーでリアルタイムに収集し、グローバルのトレンドに瞬時に対応することで、メイドインジャパンのツールを世界に広められる会社になることを目指し、挑戦し続けます。