風通しがよく、会社全体に勢いのあるおもしろいベンチャー企業

▲テンダ仙台支店 支店長代理の鈴木満(写真左)と、支店長の村山友樹(写真右)

支店長として、仙台支店の立ち上げに携わった村山友樹は、現在、ITソリューション事業部の副事業部長と仙台支店長を兼任しています。村山が支店長に就任したのは、テンダに転職して3年目のこと。それまで人材派遣会社、OA機器会社、IT企業などの営業畑を歩んできました。当時は毎日100件近くの飛び込み営業をこなすこともありました。

村山 「人材派遣会社の後に転職したIT企業が、開発案件を委託していたのがテンダとの出会いです。縁あってテンダの上層部と話すようになったのですが、当時から現在の会長も社長も役職ではなく、名前で呼び合う様子に風通しのよさを感じていました。
今から10年程前で、当時は“どベンチャー”のような、とにかく勢いのあるおもしろそうな会社という印象。平均年齢も若く、夜もみんなでワーッと飲みに行ったりして、仕事が終わってからも勢いがありましたね(笑)」

ある時、村山は転職を考えます。当時いた会社の業績悪化が理由でした。数社から声が掛かり、その中にテンダもありました。

村山 「それまで営業として、人材、モノ、ITインフラなどを扱ってきて、あとはアプリケーション開発ができれば完璧だなと思っていたんです。そこに加えて風通しの良さや会社の勢いが大きな決め手となりました」

入社後、営業職としてスタートした村山は、翌年にはマネジメントを任されるようになりました。

村山 「かなりいろいろな経験を得られましたね。数億円規模の大型案件に携われたのも初めてだったし、自分にとって大きな成長でした。それまでも組織のマネジメントはしていたけれど、営業部、営業本部、SES部門など、本格的にマネジメントを任せてもらったのはテンダに入ってからですね」

そして2013年3月。村山はいよいよ仙台支店長として、拠点の確立に尽力することになります。

仙台も東京もマクドナルドは同じ値段、それならIT業界も同じでいいはず

▲支店がスタートしたばかりの頃、オフィスに貼られていたポスター

「仙台に、開発できる体制をつくりたい」──。これが村山の想いでした。

仙台支店スタートは、東日本大震災から2年が経過した2013年。雑居ビルの小さな事務所からスタートした仙台支店は、お客様先に常駐しているメンバーが多く、社内で開発しているメンバーはほとんどいませんでした。

村山 「全員を社内に戻して、開発体制を整えたいと考えていました。理由は、仙台のIT企業の交流会に参加したとき、震災後、景気は戻っていないし、単価も安いという話を聞いたから。
大手電力会社の下請けでシステムエンジニアを派遣している会社も多かったんです。それなら開発や保守にもっと力を注げば、仙台は伸びるんじゃないか。当社がハブとなってパートナー会社と一緒に開発できるようにしたいと思ったんです」

当時のメンバー全員で考えたスローガンがあります。それは「仙台はっしん」。“はっしん”にはふたつの意味があります。仙台から情報を“発信”したいという意味と、仙台から進んでいく“発進”。ITの新たな価値を創造してそれを全国、全世界へ届けたい。そして東北地方の活性化に貢献したいという熱い想いも込められていたのです。

村山 「具体的には、仙台全体の単価も上げようと思っていました。東京のお客様に“仙台だから安いんでしょ”とよくいわれます。でも“仙台だから”安くはない。マクドナルドの値段がどこでも同じように、東京と同じ単価にしたいと。そのためには、もっと上流の工程からお客様のビジネスに入ることが必要だと考えていました」

しかしそう最初から思うようには進みません。初年度から業績が低迷していたそんな時期にテンダに入社し、仙台支店に配属となったのが鈴木 満でした。

なんでもやる!そんな大胆な新しさとチャレンジに引かれて仙台へ

▲危機感を胸に、よりチャレンジできる環境を選択した鈴木

鈴木は仙台出身。東京でシステムエンジニアとして就職し、結婚、子どもにも恵まれました。「いずれは仙台に戻りたい」と思いながら、もう10年が経過していました。「今転職しないとずっと東京で暮らすことになるんじゃないか」と仙台に戻る決意をします。

鈴木 「前職では10年間、主にお客様先に常駐してひとつの同じ基幹システムを担当していました。新しい技術を触る機会が少なく、このままだと言葉は悪いけれどシステムエンジニアとして“腐ってしまう”という危機感もありました」

鈴木が望んだのは、仙台に根を下ろし自社開発製品をもつ会社。数社の候補のなかでテンダを選んだのは、実は村山の言葉が大きかったといいます。

鈴木 「最初の面接で、村山が“これから仙台を伸ばしていこうとしている。一緒にやってみないか”といったんです。この言葉が印象的でした。他社はすでに成熟していて、入社後やるべき仕事も決まっているようでした。一方、テンダは何をやっているかというと、“いろいろやります”と(笑)。結構チャレンジだと思いましたが、前職とのギャップも大きくて逆にそれがよかったんです」

入社初日から「全然毛色が違って驚いた」と鈴木。いきなりECサイトの案件の打ち合わせが組まれていました。使う技術も新しいものばかりで最初はチャレンジの連続。今までの自分が知っていた技術も考え方もまったく違いました。

鈴木 「3カ月くらい経って、方法は違うけどやっていることは同じだとようやく腑に落ちて。それからは波に乗れたという感覚があります」

2019年現在、鈴木は支店長代理を任され、プロジェクトを管理する立場に。

鈴木 「今はガリガリとコーディングするより、要件定義などビジネスを考えるところ、上流の部分をお客様に提案することが多いです。前職では1つの業界しか知らなかったのに、テンダでは食品系、医薬系などさまざまな業界の商材を扱います。本当に楽しいですね。
お客様が“こうしたい”と思い描いている未来を、私たちが具現化していくことができる。そこがなによりおもしろいと感じています。自分自身もつくりあげていく実感が湧いてくるんです」

デザインとアプリ開発という独自の強みを持つ開発者集団へ

▲仙台から”はっしん”する支店メンバーたち

設立当初の赤字続きは3年ほどで解消。黒字化を達成しました。15人だったメンバーも2倍に増え、「みんなの頑張りで、急速な成長を遂げてきた」と村山は断言します。

村山 「多分最初は、僕の無茶ぶりもあったと思う。でもみんなに経験させたいという想いもありました。だから“みんなで黒字化達成しよう”と常に言いながらやってきました」

いろんな取り組みがありましたが、まずは自社製品のプロジェクト管理ツールTime Krei (タイムクレイ)を徹底的に活用してプロジェクトを可視化。問題を早期に発見し、手を打つことで品質向上に努めました。開発のレベルが上がることで、村山が懸念した単価の問題も払拭できました。

村山 「実際には、品質面だけでなくコンサル的な部分も提案するので、その付加価値も含めて東京と同じ価格に、お客様も納得してくださっています。もちろん価格交渉に乗ってくれないお客様もいる。でも、そのときは申し訳ないけれどお断りしています。それにSESの価格も上がってきました」

仙台の仕事も、いろんなパートナー企業がシステムエンジニアをお客様先に派遣する形態から、請負の形態に変更してくれたり、当社から依頼することも多くなったり、「かなり理想の形に近づいてきている」と村山は言います。

当時と大きく変わったのは本社の開発部門との連携が増えたこと。いまや仙台はITソリューション事業部のひとつの部署という位置づけです。“仙台独自の強み”と呼べるものも確立。デザイン力とアプリ開発です。

村山 「発端はメンバーにデザイナーがいたこと。それで仙台独自の特徴としてシステムとデザインの融合を考えたんです。今では本社の開発案件でも、デザイン部分は仙台のディレクターが加わるケースが増えています。
さらにアプリ開発も強い。どちらかといえば本社はWeb開発がメインなので、社内の開発部門としてはそこが差別化になっています」

こうした成長には、メンバー構成も影響していると鈴木はいいます。

鈴木 「立ち上げ期は、中途入社でキャリアのあるメンバーが多く、各自がそれぞれに得意な技術を持っているので、できることの幅が広かったんです」
村山 「誰かが知っているなら教育しながらやればいいという考えでした。PHPとJAVAを仙台の共通言語に決めて、あとはみんな四苦八苦しながら。炎上することもあったけど、みんながんばってきました」

それらの努力の積み重ねが効き「花開いた」のだと鈴木はいいます。しかし「まだまだやりたいことはたくさんある」と村山。

村山 「今新たなサービス、ソリューション、RPA、AIなどにも取り組みを始めています。将来的にはまずこれを形にして、さらに違う新たなものを生み出していく。そうしたチャレンジはずっと続けていきたいです。僕が入社を決めたのも、そんなチャレンジを続けるテンダに魅力を感じたから。今後もずっと続けていきたい」
鈴木 「私も同じ想い。“なんでもやります”というスタンスを仙台で体験したからですが、テンダは、ずっとそのチャレンジを続けていく会社であってほしいです」

2013年の開設から6年。さまざまな困難を乗り越えながら、急速に変化し、成長を遂げてきた仙台支店。仙台から“はっしん”するチャレンジのスピードは、まだまだ落ちることはありません。