高校生でいきなり起業。手探りの10年で気づいた「成長しないリスク」

豊島がエンジニアへの道を歩み始めたのは自然の成り行きでした。

豊島 「父がコンピュータ好きで、私も幼少期からパソコンに触れて育ってきました。小学生のころにはアプリをつくってみたり、 Webサイトを制作したりしていた記憶があります。中学時代に自分でつくったサイトがどんどん大きくなっていって──」

企業から初めて仕事を受けたのは2002年ごろ。当時、豊島は高校生でした。

豊島 「スマホがまだ存在していないので、フィーチャーフォン、いわゆるガラケーの時代です。携帯で閲覧できる Webサイトには、携帯キャリア各社のメニューサイトに収録されている “公式サイト ”と、そうではない “勝手サイト ”といった概念があり、ゲームアプリなど公式サイトでしかできないことも多かったんです。そのアプリのしくみなんかを解析するのにハマっていた時期がありました。
運営していたサイトでゲームのアプリなどを公開していたんですが、勝手サイトながらアクセスを稼いでいて。そこでの技術力を買われてフィーチャーフォン向けに、 JAVAでアプリをイチからつくって 60万円もらったのが初めて企業から受けた仕事でした。交渉の仕方も、相場もわかっていなかったですね」

驚くべきことに豊島はエンジニアリングについて体系的な学習も経ず、仕事を受注しビジネスを始めます。

豊島 「必要に応じて調べて会得するみたいな感じでしか学んだことがありませんでした。このときに身についた感覚が、エンジニア人生のあり方に大きな影響を与えることになったのかもしれませんね」

順調に実績を重ねた豊島は、高校3年生のときに株式会社を設立。大学へは進学せず卒業後に上京し、レインボーブリッジにほど近い港区海岸にオフィスを構えました。しかし、綿密な事業計画に基づく会社設立ではなかったと振り返ります。

豊島 「当時、すでに売り上げがそこそこあって、とりあえず会社にしようという感じで。会社の方向性は何も考えていない状態でした」

会社設立後、しばらくは好きな開発を堪能していた豊島。手掛ける分野こそ当初のモバイルからパソコン用にシフトしていったものの、事業と業績はまずまずに感じていました。しかし、あるときふと気づきます。

豊島 「会社は 2年目から 8年目まで、売り上げも利益もメンバーの数も横ばいだったんです。とくに成長させたいとも思っていなかった。社員はみんな自分より年上で、会社は 2、 3年後につぶれることはない状態でしたが、たとえば 10年後につぶれた場合、従業員はみんな 40歳くらいになっている。自分も年齢を重ねていく中で、責任を持てるのかなと。会社が成長しないのはリスクだったんだと 8年ほどたってからようやく気づきました」

そう考え始めてから会社を畳むまでに2年。経営者として約10年の歳月が過ぎていました。

初就職はあえて未経験分野で。ググりながらの業務で得た成長

▲高校卒業後、18歳で構えたオフィスにて

経営していた会社を畳んだ豊島ですが、次に進む道は決めていませんでした。

豊島 「自分自身の身の振り方は、会社を閉じてから考え始めたんです。経営していた会社で広告エンジンの開発も手掛けていたので、アドテク分野で当時最先端を行く企業からも声を掛けていただきましたね。
ただ、いざじっくり考えてみると、その企業に行っても業務は今までとあまり変わらないように思えて。そもそも経営者のときに成長しないのはリスクだと気づいたわけですから、せっかくなら今までと違う業態や違う環境に行って成長したいと思うようになりました」

未知の経験と環境を求めて豊島が飛び込んだのが、インフラエンジニアの道。選んだのはITインフラサービスを提供している会社でした。

豊島 「そこの取締役に突然、顧客企業の社内システムのインフラ構築をできないか聞かれて。インフラエンジニアは新たな挑戦なので興味はあったのですが、いかんせん経験がありません。そこで状況を正直に話し、『ググりながら仕事をしても良い』という条件で入社しました。実は、クラウドに触ったのもそのときが初めてでした」

そこからは未知の業務をいくつもこなす日々を送ります。

豊島 「とにかくいろいろな業務を投げてください、というかたちで入社しました。舞い込んでくる仕事をとにかくこなしていきましたね。東京オフィスのネットワークをイチから立ち上げたり、セキュリティの脆弱な部分をつぶしたり……。それまでやったことのない業務ばかりでしたが、なんとかできる。それを再確認しました」

知識がないまま始めたインフラエンジニアですが、入社して最初に手掛けた仕事は、AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)を導入する社外の大規模インフラ構築でした。

豊島 「顧客がファイル管理のシステムを一元化しようというプロジェクトがスタートしていて。アプリケーションもインフラも全部、当時の勤務先が担当することになっていました。
そのころはまだ AWSの導入を担当できる企業もそこまで多くなかったので、会社としても相当なチャレンジでした。トライアンドエラーを繰り返しながらも期日通りトラブルなく立ち上げられたときは、本当にホッとしましたね」

そう笑う豊島ですが、未知の領域に踏み込んでわざわざ苦労を重ねているようにも見えます。そこには、あえて「やることもやれることもたくさんある方向を選んでいる」理由があるのだといいます。

豊島 「苦労といえば苦労ですが、経験のある分野の仕事ばかりするとラクに感じてしまいますよね。だから基本的に、苦労しそうな方向を選んだほうが、成長もできていいと考えています。
未知のチャレンジを続けることで、プロジェクトスタート時にスキルや知見を持ち合わせてなくても、自分ならどれくらいでそれらを会得し、どの程度の品質にできるか、という見込みがいっそう磨かれました」

大規模プロジェクトで学んだ、エンジニアリングの先にあるもの

インフラエンジニアとして順調にキャリアを重ねているかに見えた豊島ですが、次第に、新たな環境でさらに挑戦したいという想いがふつふつと湧き出てきます。

豊島 「その当時の勤務先にも慣れ、周囲を見渡せるようになって、自分自身がちょっと停滞しているなと思ったんです。上長に相談したところ、客先常駐で通信キャリアのデータ収集基盤を担当するインフラエンジニアとして働けることになりました」

インフラエンジニアとしてすでにある程度の経験を積んではいましたが、同社での業務は異次元の経験でした。

豊島 「お客様に対する責任感が本当に強い会社で。インフラに求められる品質、セキュリティの意識、そういったところがこれまでの経験とはまったく違いました。トラブルが外部のシステムに起因していたり、お客さんや端末が原因だったりしても、極力問題が起きないように事前に徹底的に検証する。何しろ、 BtoCのユーザーからのアクセスですから、毎秒何万単位のアクセスが当たり前のようにくる。以前手掛けた社内システムのインフラとは本当にケタが違いましたね」

当初はその規模感の違いに困惑したものの、これまでの経験を生かしながら課題をひとつずつ解決していきます。

豊島 「自社で手掛けていたのは、せいぜい毎秒数千単位のアクセス。それが数万単位になり、しかも絶対にエラーを返してはいけないという状況です。そんなクオリティにするのは無理じゃないかと思ったのは事実です。
それでもやっぱり、トライアンドエラーを繰り返し、手を動かしながら知識を習得することで問題は解決できました。新たな難題に立ち向かうとき、これまでの方法論が通用したのは大きな収穫でした」

所属する組織が大規模になり、プロジェクトに関係する人数も大幅に増えたことで、組織単位での効率性の追求についても新たに学ぶことに。

豊島 「一方で、ずば抜けたエンジニアと仕事をすると、パフォーマンスが誇張なしに何十倍、何百倍以上違うように感じられました。脳の構造が違うんでしょうね。
自身がマネジメントや折衝に回ることでよりチームのパフォーマンスが出るのであれば、自身でエンジニアリングするのにこだわる必要はないと考えるようにもなりました。この環境でそういったずば抜けた人に出会わなければ、気づくことはできなかったと思います」

たくさんの気づきをもたらした同社のプロジェクトですが、プロジェクトが区切りの時を迎えるにあたり、豊島は次なる挑戦への模索を始めました。

「苦労する方向」を目指してたどり着いた、ビデオリサーチに感じた魅力

前職の退職を決め、次の場を探し始めた豊島は、自らビデオリサーチへ応募したのをきっかけに入社することになります。応募の理由は意外なものでした。

豊島 「知り合いが声を掛けてくれる以外に、自分でもどこかに応募しようと考えて。前職から連想したせいか、データ収集に関する仕事を考えたときにパッと思い浮かんだのがビデオリサーチだったんです。メディアでよく目にする、(ビデオリサーチ調べ)というクレジット表記による刷り込みもあったのかもしれませんね」

面接が進むにつれ、ビデオリサーチが自身の新たなチャレンジの場としてふさわしいと思うようになっていきました。

豊島 「フェローとして参画するにあたって出すべき成果を具体的に設定してもらったんです。条件や目標を課されると緊張感が持てますし、自分を高めようという意欲も湧く。それが決め手となりました。
あとは人事の方のスピード感に驚かされたのも入社の理由のひとつかもしれません。面接を終えて、会社の最寄り駅にたどりつく前には結果がくるという……。数分前の『一週間以内にご連絡を』とは何だったのかと思いました(笑)」

入社から1カ月ですでに目線はマネジメント面での目標達成に向けられています。

豊島 「ビデオリサーチは歴史がある分、過去を引きずってしまう傾向があると感じています。従来のメインフレームは基本的に大きく変わらないものなのでそれでも大丈夫なんですが、これからインフラシステムの主流がクラウドに置き換わるにあたって、外的要因や自社で管理できない部分によって起きる問題も事前に想定してつぶしておく必要がある。そういうマインドを根付かせていきたいですね」

豊島は前職の通信キャリアで学んだ姿勢が、ビデオリサーチにも当てはまるものだと考えているのです。

豊島 「ビデオリサーチが扱うデータは、一部が失われてもいけないですし、少しでも遅れてはいけない。その点では、通信キャリアが追求していたのと同じような品質セキュリティに対する意識が当てはまります。
緊張感や責任感を持ちながら継続的に改善し、新しいしくみをつくる、チャレンジを恐れない集団に変化しつつあるのですが、それをさらに加速していければと思っていますね」

また、目の前の仕事だけでなく、ビデオリサーチの今後の方向性についても考えています。

豊島 「当社の強みであり、自分が興味を持ったポイントは、視聴率以外のデータも保有しているところ。当社は各世帯や個人にデバイスを配布しての調査が多く、他社が持っている “サーバー側で見られるデータ ”以外のものをたくさん持っている。それらを組み合わせ、分析し、学習データとして活用すれば、たとえば広告の配信精度を今より格段に高めることができます。
そうすれば広告を本来見てほしい人にリーチできるし、消費者も自分に関係ある広告だけが表示される。広告主にとっても消費者にとっても有益です。視聴者、閲覧者が誰か、また彼ら彼女らが何を求めているかがデータで分かれば、コンテンツづくりにも役立てることができ、その質を高めるところにもつながります。
機械学習に興味や知見がある人にジョインしてもらえれば、他社ではできない経験ができると思うんです。当社のしくみや提供するデータは代替する手段がありませんので、より一層の冗長化やデータ精度の更なる向上、新たなシステムの開発、またそれらを安定的かつ効率的に運用する体制の強化なども進めていきます。
当社の取り組みや技術についても発信していきたいと考えていますので、ご期待ください。今まではあまり表に出るタイプではなかったんですが、まずは、自分が外に出て行かないといけませんね」

豊島の期待する「成長」と「苦労」はすでに始まっています。

ビデオリサーチはメディアリサーチのリーディングカンパニーとして多様な人材と共に、これからも新しい挑戦を続けていきます。